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  <title>土方歳三の世直し</title>
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  <description>土方歳三見参</description>
  <lastBuildDate>Thu, 18 Feb 2010 03:15:29 GMT</lastBuildDate>
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    <title>日本聖公会の神学</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><font size="3">
<p><br />
　知り合いに、日本聖公会の神学教育に関して少し知っている人物がいるので、今朝、電話で少し話を聞かせて貰った。東京にある神学院は３年間だそうだ。それを聞いて驚いた拙者を見て、知り合いが笑っていた。拙者達の神学校とは教育年限が半分だ。大卒で入学しても、その実力では３年に編入できないケースもあったという。とりあえず、英語能力と作文能力が極めて重要な選抜基準になっていると聞いている。そして３年間で、聖書神学・歴史神学・組織神学・実践神学を履修するそうなのだが、はっきり言って３年では無理だ。</p>
<p>　講義に出席するだけで、自分で参考文献を熟読する時間がなさ過ぎる。基本的な聖書神学の文献を読むだけでも、時間がなさ過ぎるし、一日の睡眠時間を６時間にしても、半分も読めないだろう。そうした時間を確保するという理由で、拙者の神学校では留年するのが流行った時代があったそうだ。知り合いもそれで留年している。神学校としては早く卒業させたいのだが、本人が必要な単位を履修していなければ、留年させざるを得ないし、教授達もそれを理解していたそうだ。</p>
<p>　神学が教会の聖職にとって不可欠なのは、礼拝の中で説教するからだ。説教は、「いいお話」であってはならない。聖書の御言葉を解き明かすことでなければならないのだが、それをするためには、前記の４つの神学をかなり綿密に訓練を受けなければならない。そして、そうした神学的訓練を受けるためには、哲学や言語学の素養も必要になってくる。そして、哲学や言語学はかなり時間が掛かる。そうした文献を指示されて、それを読破するだけの能力がなければ、神学が出来るはずもない。</p>
<p>　日本聖公会はいつの頃からか、そうした視点を欠いてしまったのだろう。日本聖公会のある年輩の聖職者が、１９９０年代になってブルトマンの『イエス』を読み始め、その時に「読んだことがあるか」と尋ねられ、知り合いは心底驚いたという。知り合いは１９７０年頃に読んでいたし、いまでも本箱のどこかにあると言っていた。そして、重大な情報を教えてくれた。神学校の図書館の書庫に何回も入ったことがあるそうなのだが、本を棚から出して開き、貸し出し表を見ると、お二人の方の名前しかないものが圧倒的に多かったそうだ。現在はかなり年輩になっていらっしゃる聖職者の方々だそうだが、「ただただ唖然とした」と言っていた。知り合いは、非常にラッキーな人で、拙者達の神学校の図書館長の奥さんが知り合いの幼稚園の先生だったということもあり、２年生の頃から、書庫への入室が許可されていた。夜まで書庫に籠もっていて、書庫の入り口の扉を閉められそうになったことがあったと言っていた。同じようなことは、拙者達の神学校では時々あったようだ。<br />
&nbsp;</p>
</font></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
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    <pubDate>Thu, 18 Feb 2010 03:15:29 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>レッドカード</title>
    <description>
    <![CDATA[<p>
	<br />
	<font style="font-size: small"><font style="font-family: ｍｓ ｐゴシック"><font size="4">　TERAさんのブログのコメントが禁止されたので、近藤さんのＩＤとパスワードを聞き出そうとした者が、TERAさんのブログに何かを書き込んだのだろうか。そして、TERAさんから近藤さんにメールアドレスが送られて、近藤さんと話をしたのだろうか。近藤さんの携帯に電話が通じないので、まったく判らないが、それにしても愚かなことをしたものだ。しかし、何故近藤さんだけが狙われたのだろう。新撰組局長という肩書きに惹かれたのだろうか。それぞれ、大勢がブログを書いているが、内容的に見て近藤さんだけが突出した情報収集力を持っているとは思えない。</font></font></font></p>
<p>
	<font style="font-size: small"><font style="font-family: ｍｓ ｐゴシック"><font size="4">　まぁ、あとは近藤さんが最善の道を付けるだろう。当然、司法的な取引が行われるだろうな。「被害届を警察に出さない代わりに、日本聖公会京都教区の性的虐待事案に関する情報をすべて横流しするということは序の口で、序二段、三段目と上がり、十両になったら関取だから、それらしいスパイ行為をさせるだろうな。こんなことは、組織に対して何かをしようとすれば当然考えることだ。何も特別なことではない。金品を要求したら問題になるが、スパイ行為をさせても、法的に処罰できるかどうか。</font></font></font></p>
<p>
	<font style="font-size: small"><font style="font-family: ｍｓ ｐゴシック"><font size="4">　そして、日本聖公会京都教区がこのことに気が付いて、不正アクセスした人物をパージしたら、それこそ大成功だ。その人物は内部情報をかなり知っているだろうからな。いくらでも聞き出すことが出来る。だからといって、そのまま内部情報を知ることの出来る立場に置かせたら、第二・第三の情報漏れが起きてくるのは間違いない。</font></font></font></p>
<p>
	<font style="font-size: small"><font style="font-family: ｍｓ ｐゴシック"><font size="4">　あるいは、上から圧力をかければかけるほど、末端から漏れ出す可能性が高くなる。日本聖公会京都教区にとっては、「痛し痒し」といったところだろう。しかし、これまで散々、日本聖公会京都教区は悪態を吐いてきたのだから、自業自得だ。内部で信頼関係が崩れ始めるだろう。近藤さんのことだ、それを交わす方法を伝授することを忘れるはずもない。日本聖公会京都教区の内部で、疑心暗鬼が生じてくることは間違いない。痕は、近藤さんの腕一つだ。そして、日本聖公会京都教区が崩壊し、主教や関係した常置委員にはレッドカードが出される。</font></font></font></p>
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    <pubDate>Sun, 07 Feb 2010 09:01:14 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>影の力か？</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><font size="3">　久しぶりにここに書くことにしたのは、転送されてくるメールを読んでいると、日本聖公会自身もどこかが狂っているとしか思えない。管区は上告されている小審判廷に関して、何の報告もしていないようだが、日本聖公会もカルトなのか。聖職者の性的虐待事案に関しては、ひた隠しに隠そうとしているのか。それとも、影で大きな力が働いているのか。</font></p>
<p><font size="3">　日本のキリスト教界の中では、影の力がものすごく大きいと聞いている。拙者もそうしたことを何回も耳にしてきた。聖職者が自分の過ちを隠すために、それを知っている人間を排除したり、悪口を垂れ流したりしている。あるいは、自分の経歴に関して知られることを恐れるあまりに、なかったことをあった課のように触れ回っているのもいる。それも、キリスト教界の情報網に名前が出てくるような人物が多い。</font></p>
<p><font size="3">　そもそも、日本のプロテスタント教会では、聖職者の守秘義務ということなど、ほとんど理解されていないのだろう。拙者の知り合いの男で、ある聖職者がいるが、出鱈目の情報を流したのがいる。これに関しては、名誉毀損で来年あたり訴訟を起こすと言っていた。提訴される方は、誰もが知っている名前のキリスト教関連企業の幹部だ。要求するのは金ではない。謝罪広告を業界紙に載せろということだと聞いている。</font></p>
<p><font size="3">　日本聖公会にもそうした事案が方々にあるらしいな。その中には、個人情報を聖職者が平気で口にした事案もあるらしい。自分の個人情報が漏れないためには、他人を蹴落としても構わないと考えている上級聖職者がいる。これは、拙者もよく知っている人物だ。そして、その被害者は拙者の知り合いだということが、拙者にこれを書かせている。彼はそのことに関して明るみに出ることはないと、いまは思っているだろう。周囲でそれを知っている人物はほとんどいないだろうからな。しかし、「蛇の道は蛇」なのだ。そんなことはどこからでも情報が入ってくる。とりあえず、彼にやって貰いたいことがあるので、これからが楽しみだ。</font></p>
<p><font size="3">　近藤さんのブログを読んだが、やはり出てきたようだな、愚か者が。そこまでして、近藤さんがどこの誰かを確かめたかったのか。それとも、あのブログを消してしまおうとしたのか。テラさんは、おとなしい人のようだから、ブログで「神様のお導きがございますように」と祈っていらっしゃるが、あのＩＤとパスを不正入手しようとした人物は早く名乗り出た方がいい。確かに未遂ではあったが、刑事事件にはかわりはない。あとは、近藤さんがどう対処するかということだけだ。万が一、若い学生だったら、最低でも停学処分、最悪の場合は除籍処分になる。<br />
</font></p>]]>
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    <pubDate>Wed, 03 Feb 2010 01:34:52 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>赤信号、みんなで渡れば怖くない</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><font size="3">赤信号、みんなで渡れば怖くない</font></p>
<p><font size="3"><br />
　近藤さんと電話で話をしたが、やはり日本聖公会京都教区は最悪の状況にあるようだ。性的虐待の加害司祭を擁護するために、被害者の女性に対して虚言癖があると口にした司祭は、「時効」が完成しているという審判だったのだが、あまりにもお粗末なことだと思う。性的虐待の被害にあった女性に虚言癖があるという専門医の精神鑑定があるわけでもなく、それを公言したのだから、本人が謝罪し、反省するまで、日本聖公会法憲法規の規定では「時効」は開始していない。そもそも、あの時効に関する規定自体が非常に曖昧なことが問題なのだが、それにしても、彼らは時効の起算日をいつにしたのだろう。</font></p>
<p><font size="3">　これから、管区の小審判廷が行われるのだろうが、あの時効に関する判断を管区小審判廷がどのように考えるかが見物だ。前回の小審判廷の審判員がもう一度審判して欲しいと願っているが、そうなれば、日本聖公会京都教区の審判廷のあり方そのものを問うことになるだろう。管区小審判廷の差し戻し審判の内容をまったく無視した審判が下されているのだから、当然のことだろう。</font></p>
<p><font size="3">　問題は、やはり、時効の起算日だ。あの重大な過ちに関して、まったく反省せず、謝罪していないのだから、彼らの加害行為は継続していると考えるのが妥当だろう。つまり、時効は開始していないという判断だ。これは、あの法憲法規の時効に関する規定からも正しい判断であろうと考えられる。それは、あの法憲法規は日本聖公会の教会法であり、そうした教会法の根底には聖書の御言葉があるのだから、それを考えれば「時効」はまだ開始していないということはすぐに判る。</font></p>
<p><font size="3">　外野席からの発言のようで申し訳ないが、管区小審判邸がどういう審判を下すか、拙者は非常に興味を持っている。さよならホームランを打ったバッターが、意気揚々とホームベースに入った直後に、打者がファーストベースを踏んでいないと主審に申し立てたようなものだ。さぁ、主審はどのように判断するか。野球をご存じの方は、よく知っていらっしゃるだろうと思う。ただ、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ということにならなければいいと思う。<br />
</font></p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Wed, 30 Dec 2009 10:57:46 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>無理が通れば道理が引っ込む</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><font size="3"><br />
　結局、日本聖公会京都教区には、女児に対する性的虐待を続けていた司祭を処罰する気がないのだろう。ここまで差し戻し審を引き延ばしているのだから、そうとしか考えられない。そして、加害司祭の脱会宣言を「あぁそうでしたか」ということで容認してしまっている。しかし、加害司祭が性的虐待行為をしていたのは、彼が歴とした日本聖公会京都教区の現職の牧師（教会に仕えている司祭）であったのだから、脱会したからといって、審判邸を回避できるものではない。</font></p>
<p><font size="3">　そして、加害司祭が審判廷に出廷しようがしまいが、彼を審判することは十分に可能であり、日本聖公会京都教区はその審判内容を、教会の内外に文書で告知すべきだろう。脱会したとしても、彼が受けた司祭按手をひていすることはできないが、しかし、少なくとも日本聖公会京都教区としては加害司祭の職務執行を停止しているということを、対外的に宣言することは可能だ。何故早くそれをしようとしないのか。常識的に考えれば、それが一番楽な道であるはずであるのに、何故それをしようとしないのだ。</font></p>
<p><font size="3">　女児に対する性的虐待行為に、神学的議論は必要ない。そして、その性的虐待行為は確実に行われたことを、京都教区の審判廷の審判長である主教は、既に文書でそれを認めているのだから、審理や手続きは極めて簡単なことではないのだろうか。問題は、加害司祭を法廷で弁護した代理人に関する問題だ。日本の法律上は問題はないのだが、教会法に違反しているという申立が行われているのだから、こちらはしっかりと神学議論が為されなければならない。</font></p>
<p><font size="3">　代理人は弁護士として当然のことをしただけのことなのだが、それが信仰者の在り方として正しかったかどうかが問われなければならないのだが、これは極めて重大な神学的検証を問われるだろう。日本の教会は、過去の大戦において出生した教会員が、上官の命令によって行った戦闘行為の責任を教会の中で問うてきたかどうか。拙者が知る範囲では、そうした議論は一切為されていなかったように思える。代理人が、「その職務を行ったに過ぎない」と答えられたとしたら、教会はその代理人を処罰できるかどうか。</font></p>
<p><font size="3">　日本聖公会はこれまでにも、こうした現実的な、そして重大な問題を回避してきた。日本聖公会の中だけでなく、日本のキリスト教界の中では非常に有名だった人物が、あの文鮮明氏を擁護する本を出版したときにも、日本聖公会は沈黙し続けていた。そして、その本の存在すら知らない若い聖職者達が出てきているという。そして、あの問題はタブーとされているということも聞いたことがある。</font></p>
<p><font size="3">　日本聖公会には、こうしたタブーがかなりあるという人もいる。そして、そのタブーの影には、手術を受けなければならないほど、虐待された人物もいるという。関係教区は手術後の診断書さえ無視したらしい。古い友人が電話をくれたことがあった。「なんで聖公会なんかに首を突っ込むのか。あそこはもう、どうしようもない教会なんだ」と言っていた。しかし、こう答えておいた。「被害者とそのご家族を孤立化することは赦されないだろう。無理が通れば道理が引っ込むという事態を放置しておいて、福音など語りようがない。」<br />
</font></p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Sat, 07 Nov 2009 10:15:44 GMT</pubDate>
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  </item>
    <item>
    <title>６月４日</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><font size="3"><br />
　日本聖公会京都教区は、今日が何の日か知っているだろうか。テレビでも放映されていたから、多少は知っているかもしれない。しかし、彼らが現在していることは、明らかに現在の中国共産党と同じことをしていることに気が付いていないだろう。</font></p>
<p><font size="3">　少なくとも主教は中国における共産党と同じか、それ以上の絶対的権力を持っていると考えていることは、いままでの一連の発言や行動から明らかなことだ。中国共産党は三権分立という、近代市民社会の最低条件を認めていない。勿論、民主主義も認めていない。そして一番の問題である、共産党一党独裁を永遠不変のものとして維持し続けている。</font></p>
<p><font size="3">　主教は、日本聖公会法憲法規をも超えて判断できると考え、法憲法規の規定を守らなくとも罰せられることはないと考えている。そして、各教会から、民主主義的手続きを経て選ばれた（これには疑問があるが）信徒代議員と聖職者による教区会の決定を、時として無視できるかのように考えているように見えることさえある。そして、その教区会で民主主義的手続きによって選ばれた常置委員会は、ある意味で教区主教の諮問機関でしかないように振る舞っている。そして、審判廷においては、教区主教が審判長になることを義務づけている。</font></p>
<p><font size="3">　これでは、薩摩・長州・土佐・肥前の愚かな輩が手前勝手に決めた「天皇制」という得体の知れない国家体制と同じではないのか。ところがだ、日本聖公会の中には「昭和天皇の戦争責任」という言葉を使っていたのがいた。しかし彼らは、日本聖公会京都教区における現職司祭の女児性的虐待事案に関する京都教区主教の対応に関して、何ら批判の声を上げていない。「女性の人権」に関して発言を繰り返していた聖職者達も、一切口を噤んでいる。</font></p>
<p><font size="3">　すべては自分たちの立場を守るための、あるいは自分たちの生活を守るための、発言や行動でしかなかったことがこれではっきりしてきている。日本に似非左翼（サヨク）は要らない。この困難な時代の中で、自分たちの命を賭けてでも、抑圧され、差別され、疎外されている人々の自由と権利を守り続けようとしないサヨクは、最早、それが自らキリスト教を自称したとしても、彼らは聖書が伝えている信仰とはほど遠いところを歩んでいるばかりではなく、サマリヤ人によって助けられた旅人から、残されたものをすべて奪い去り、その人生までをも奪い去ろうとしていることにしかならない。</font></p>
<p><font size="3">　「審判員の忌避」が話題になっているようだが、最悪の事態だと言わざるを得ない。審判長である教区主教自身が、性的虐待問題が解決しているかのように、被害者の家族の発言をねじ曲げて、全国に情報を流していたのだ。あるいは、審判員の一人は、あの最高裁判所の上告却下の後、教区総務局長として「冤罪」「最高裁判所に抗議する」という声明を出していたのだ。これで正常な審判廷が開けると考える人がいるだろうか。中国の国家主席が中国共産党を裁けないように、日本聖公会京都教区の教区主教は、常置委員会はおろか、自分自身をも裁かなければならない立場にあるのだから、現在の教区主教にこの審判廷の審判長の職務を正常に行うことなど出来るわけがない。</font></p>
<p><font size="3">　夕食の前に、久しぶりに鞍馬天狗と電話で長話をした。かれはもう、現在の状況に関して、「開いた口がふさがらない」状態だと言っていた。おそらく、誰もがそう思うだろう。やはり、日本聖公会のサヨクは中国共産党と同じ過ちを犯していたのだろう。これは想像でしかないが、心ある聖職者達の口を噤ませることが出来るだけの権力を持っている人間が日本聖公会にいるとしか思えない。あるいは、口を噤ませられるような聖職者は既に、日本聖公会から出ていってしまっているのかもしれない。</font></p>
<p><font size="3">　日本聖公会は最早、主教会が全責任を持って、教区審判廷を開催し、裁くべき人物を裁かなければ、問題が解決しないばかりか、日本聖公会自身が社会的にも、教会的にも崩壊せざるを得ないだろう。現在の審判員で、日本聖公会京都教区が正常な審判を出来ると考えている主教は一人もいないだろうと信じている。<br />
</font></p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
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    <pubDate>Thu, 04 Jun 2009 12:25:40 GMT</pubDate>
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    <item>
    <title>審判員忌避</title>
    <description>
    <![CDATA[<p><font size="3"><br />
　日本聖公会京都教区の審判廷審判員が何を考えているのかまったく判らないが、審判員を忌避する動きがかなり活発になっていると聞いている。管区の小審判廷の審判員はこのことを十分に考慮していただろうが、日本聖公会法憲法規に審判員忌避に関する規定があるから、あの管区小審判廷では忌避に関することは何も言われなかったのだろう。<br />
</font></p>
<p><font size="3">　しかし、忌避されて当然のことだと拙者は考える。むしろ、忌避されなければならないとも考えている。何しろ、審判長である京都教区主教は、性的虐待の加害者である司祭を擁護した張本人の一人であり、退職金支払いにさえ同意していた人であると同時に、第一審の京都教区審判廷の審判長でもあった。そして、あの理不尽な審判申立却下を決定した人物だ。<br />
</font></p>
<p><font size="3">　そして、もう一人の聖職審判員は常置委員長であった人物であれば、これも当然忌避されてしかるべきであることは、誰が考えても当然のことであろう。日本聖公会法憲法規に審判員の忌避に関する規定があるから、これを遵守しなければならないが、この二人の聖職に関しては、審判邸に申し立てられても不思議ではない人物であることも明らかなことだ。<br />
</font></p>
<p><font size="3">　つまり、あの審判の根元にある重大な問題は、日本聖公会京都教区が問題を誠実に考え、自らの過ちを悔悛しようとしていないところにある。京都教区とは実に簡単なことであり、３人の被申立人を審判すればいいだけのことであるのに、それを引き延ばし、あわよくば回避しようとしているように見えるが、もしそれが事実であるとすれば、日本聖公会京都教区は既にキリスト教会ではなくなっていると云うことが出来る。福音は加害者を裁き、指導し、悔悛させ、被害者を擁護し、慰め、守ることであるにもかかわらず、日本聖公会京都教区はそれと正反対のことをし続けてきた。<br />
</font></p>]]>
    </description>
    <category>未選択</category>
    <link>http://hijikatatoshizou.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E5%AF%A9%E5%88%A4%E5%93%A1%E5%BF%8C%E9%81%BF</link>
    <pubDate>Thu, 28 May 2009 23:06:07 GMT</pubDate>
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