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土方歳三見参
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Posted by Toshizou Hijikata - 2010.02.18,Thu


 知り合いに、日本聖公会の神学教育に関して少し知っている人物がいるので、今朝、電話で少し話を聞かせて貰った。東京にある神学院は3年間だそうだ。それを聞いて驚いた拙者を見て、知り合いが笑っていた。拙者達の神学校とは教育年限が半分だ。大卒で入学しても、その実力では3年に編入できないケースもあったという。とりあえず、英語能力と作文能力が極めて重要な選抜基準になっていると聞いている。そして3年間で、聖書神学・歴史神学・組織神学・実践神学を履修するそうなのだが、はっきり言って3年では無理だ。

 講義に出席するだけで、自分で参考文献を熟読する時間がなさ過ぎる。基本的な聖書神学の文献を読むだけでも、時間がなさ過ぎるし、一日の睡眠時間を6時間にしても、半分も読めないだろう。そうした時間を確保するという理由で、拙者の神学校では留年するのが流行った時代があったそうだ。知り合いもそれで留年している。神学校としては早く卒業させたいのだが、本人が必要な単位を履修していなければ、留年させざるを得ないし、教授達もそれを理解していたそうだ。

 神学が教会の聖職にとって不可欠なのは、礼拝の中で説教するからだ。説教は、「いいお話」であってはならない。聖書の御言葉を解き明かすことでなければならないのだが、それをするためには、前記の4つの神学をかなり綿密に訓練を受けなければならない。そして、そうした神学的訓練を受けるためには、哲学や言語学の素養も必要になってくる。そして、哲学や言語学はかなり時間が掛かる。そうした文献を指示されて、それを読破するだけの能力がなければ、神学が出来るはずもない。

 日本聖公会はいつの頃からか、そうした視点を欠いてしまったのだろう。日本聖公会のある年輩の聖職者が、1990年代になってブルトマンの『イエス』を読み始め、その時に「読んだことがあるか」と尋ねられ、知り合いは心底驚いたという。知り合いは1970年頃に読んでいたし、いまでも本箱のどこかにあると言っていた。そして、重大な情報を教えてくれた。神学校の図書館の書庫に何回も入ったことがあるそうなのだが、本を棚から出して開き、貸し出し表を見ると、お二人の方の名前しかないものが圧倒的に多かったそうだ。現在はかなり年輩になっていらっしゃる聖職者の方々だそうだが、「ただただ唖然とした」と言っていた。知り合いは、非常にラッキーな人で、拙者達の神学校の図書館長の奥さんが知り合いの幼稚園の先生だったということもあり、2年生の頃から、書庫への入室が許可されていた。夜まで書庫に籠もっていて、書庫の入り口の扉を閉められそうになったことがあったと言っていた。同じようなことは、拙者達の神学校では時々あったようだ。
 

 

 

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