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土方歳三見参
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Posted by Toshizou Hijikata - 2009.11.07,Sat


 結局、日本聖公会京都教区には、女児に対する性的虐待を続けていた司祭を処罰する気がないのだろう。ここまで差し戻し審を引き延ばしているのだから、そうとしか考えられない。そして、加害司祭の脱会宣言を「あぁそうでしたか」ということで容認してしまっている。しかし、加害司祭が性的虐待行為をしていたのは、彼が歴とした日本聖公会京都教区の現職の牧師(教会に仕えている司祭)であったのだから、脱会したからといって、審判邸を回避できるものではない。

 そして、加害司祭が審判廷に出廷しようがしまいが、彼を審判することは十分に可能であり、日本聖公会京都教区はその審判内容を、教会の内外に文書で告知すべきだろう。脱会したとしても、彼が受けた司祭按手をひていすることはできないが、しかし、少なくとも日本聖公会京都教区としては加害司祭の職務執行を停止しているということを、対外的に宣言することは可能だ。何故早くそれをしようとしないのか。常識的に考えれば、それが一番楽な道であるはずであるのに、何故それをしようとしないのだ。

 女児に対する性的虐待行為に、神学的議論は必要ない。そして、その性的虐待行為は確実に行われたことを、京都教区の審判廷の審判長である主教は、既に文書でそれを認めているのだから、審理や手続きは極めて簡単なことではないのだろうか。問題は、加害司祭を法廷で弁護した代理人に関する問題だ。日本の法律上は問題はないのだが、教会法に違反しているという申立が行われているのだから、こちらはしっかりと神学議論が為されなければならない。

 代理人は弁護士として当然のことをしただけのことなのだが、それが信仰者の在り方として正しかったかどうかが問われなければならないのだが、これは極めて重大な神学的検証を問われるだろう。日本の教会は、過去の大戦において出生した教会員が、上官の命令によって行った戦闘行為の責任を教会の中で問うてきたかどうか。拙者が知る範囲では、そうした議論は一切為されていなかったように思える。代理人が、「その職務を行ったに過ぎない」と答えられたとしたら、教会はその代理人を処罰できるかどうか。

 日本聖公会はこれまでにも、こうした現実的な、そして重大な問題を回避してきた。日本聖公会の中だけでなく、日本のキリスト教界の中では非常に有名だった人物が、あの文鮮明氏を擁護する本を出版したときにも、日本聖公会は沈黙し続けていた。そして、その本の存在すら知らない若い聖職者達が出てきているという。そして、あの問題はタブーとされているということも聞いたことがある。

 日本聖公会には、こうしたタブーがかなりあるという人もいる。そして、そのタブーの影には、手術を受けなければならないほど、虐待された人物もいるという。関係教区は手術後の診断書さえ無視したらしい。古い友人が電話をくれたことがあった。「なんで聖公会なんかに首を突っ込むのか。あそこはもう、どうしようもない教会なんだ」と言っていた。しかし、こう答えておいた。「被害者とそのご家族を孤立化することは赦されないだろう。無理が通れば道理が引っ込むという事態を放置しておいて、福音など語りようがない。」

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